夢は飲食店開業!寄り道まみれな日々。その一部始終。

3月3日(火)の日記






 暇がなくてサボタージュしていた日々の日記です。

 前日までの睡眠無双のおかげで、
いよいよ北海道旅行の疲れも癒え始めております。

 そしてそんな3月3日(火)のメインイベントは、
ゼミでの4年生追い出し飲み会でありました。追い出された。

 ゼミに関しては、
もうドライな振る舞いに徹していたはずなのに、
さよならのプレゼントをいただいたり、
「4年生のなかだとホシノさん推しです」みたいなことを言ってくれた後輩がいたり、
そんな感動のフィナーレを迎えるまでの話題がとにかくゲスかったり、

 いろいろとサプライズでありました。



 そんな飲み会の前のお昼、
私はまた演奏会の練習のために学校へ参上しており、

今はゼミ飲みのことよりも、
その練習で感動したというささいなことについて語りたい。



 どんな感動をしたかというと、
〈音楽〉を直感した、という。そんな感動。

 その日は、大学生活で一番多くの時間を過ごした人と
曲の練習をしていて、とにかくおもしろかったのは
練習中の会話量が少ないこと少ないこと

 一般的な練習だと、
自分と相手に加えてメトロノームという第三の存在を用意したり、
双方で同じ質感の音を出すために、言葉でインスピレーションを補強したり、

 ・・とか、〈演奏〉自体はただ〈音〉が出ている状態であるものの、
それを完成させるためには、メトロノームやら言語やら、
〈音〉ととは別のところの松葉杖を無数に足すのが普通で、
その作業にたくさん時間がかかる。



 だけれど、この練習では、
松葉杖を持ってくる時間がまるでなくて、
何も考えず音を出せばそのうちに完成していった。

 「このフレーズはこういうイメージで演奏しよう!」
「ここではこういう音色を出そう!」みたいな共有がまるで必要なかった。

 言語が不要で、
ただ相手の音を聴いて、自分の音を微調整する、みたいな
〈音〉で会話が完了していた気がする。

 絶妙にテンポが揺らいだり、
分散和音を使って、雰囲気を演出したり。

 曲の練習時間は極端に少なく済んだけれど、
まぁそれは、遊んだりメシ食ったりくだらない会話したりに、
たくさん時間をかけていたおかげであるような気がする。

 土壌の共有、みたいな。



 やはり、良い仕事というのは、
その人間との信頼関係に乗るですや。

 という、人生の教訓を得た。

 みたいな、
将来、読み返した時に顔が赤くなるようなことを、
あえて投下しておきます。ごめんなさい。