何年も忘れてたことが何かの拍子急に思い出す( 04/全05回)
何年も忘れてたことが何かの拍子急に思い出す( 03/全05回) - 星
前回の記事から、内容続いてます。
星が長年試行錯誤してきた、《日記》に関するアレコレを公開しています。
なんで日記を書くの?
これまでは日記を書く『行為』のオハナシでしたが、
ここからは、日記を書く『心構え』のオハナシになります。
『どんな心構えで、日記を書く習慣を継続しているか』
星には、日記習慣を継続したい理由がちゃんとあります。
突き詰めれば、
「日記を書くことにメリットがあるから」
の一言で済むオハナシなんですけどね。
(でも、これは当然のことです。
良いことが無ければ、続けている意味がありません。
良いことがあるから、続けているんです)。
これからまた、文字数をムダにつかって、
『星がどんなメリットを感じているか』を、語っていきますが、
まぁこれは、ボクが勝手に感じているだけのことですので、
みなみなさんにも当てはまるようなことではないかもしれません。
が、読んでいる人に、どこかが響いて、
なにかが伝われば、ラッキーかなぁ、なんて思いますね。
日記を書く理由は、3つ。
「なんで日記を書くの?」
に対する答えを列挙してみたところ、
その理由は数多くありますが、
まとめてみると3つに分かれることがワカリマシタ。
その3つとは、
① 『書く』行為が、好きだから。
② 賢くなりたいから。
③ 自分がわかるから。
の、3つデス。
①『書く』行為が、好きだから。
まずは、『書く』コトが好きだから!ですね笑。
それに、書けば書くほど文章力が鍛えられます!
・・かどうかは、よくわかりません爆。
ただ、日常生活のなかで誰かになにかをオハナシしようとしたときに、
その内容が一度日記にまとまっていれば、スラスラ言葉が出てくる!!
というのは、ありますね。台本のようなものデス。
『日記』でのコトバは、着飾らない。
ブログで、他人の目に公表したいオハナシも、
日記で一度、自分だけが見るところにまとめてからの方が、
納得のいく形になりやすいです。
これは僕の場合の話ですけど、
いきなりブログの執筆を始めてしまうと
「人目に触れるから」を気にしてしまって、
そのキンチョーで、変に《着飾ったコトバ》を使ってしまいマス。
ですが、日記に書くときは、
これは自分にだけ伝わればいいものなので、
自分が好きなコトバ・等身大のコトバなど、
《ありのままの語彙》で語れるデス。
《着飾ったコトバ》でブログを書いていると、
「何カッコつけたこと言おうとしてるんだろう・・」
と、自己嫌悪に襲われて、クシャクシャに丸めてポイしちゃうんですよネ。
あ。コレまったく一般論じゃない・・
ホント個人的なオハナシでした。すみません。
②賢くなりたいから。
あとは『日記を書く』習慣があると、
『思考する』習慣がつきます。
この『思考する』習慣を失いたくなくて、
日記の習慣を続けている側面もあります。
「日記の習慣があると『思考する』習慣がつく」??
意味不明に聞こえるかもしれないので、
少し説明を加えておきます・・
ネタ探しの姿勢が、毎日を豊かにする。
『日記を書く』習慣があると、ネタ探しの姿勢がうまれます。
そのネタ探しの姿勢が、『思考する』習慣につながるのです。
ネタ探しの姿勢が無いと・・
毎日がただただ過ぎ去っていくだけです。
日記の習慣があるおかげで、
毎日を前のめりに過ごせるような気がしてます。
代わり映えのないような毎日でも、
前のめりに、いろいろなことを感じ取って、
前のめりに、いろいろなカンガエゴトをして、
その結果、なにかを学べたりして・・
そうして、『思考する』ことが癖になっていくんですね。
そして、毎日が少しずつ、色濃く感じられるようになっていきます。
記憶できないから、記録する。
でも、ボク、致命的なことがありまして、
記憶力がとても弱いんですね。
いろいろなカンガエゴトをしても、
すぐに忘れ去ってしまいます。だから記録します。
これをもし日記に書き遺さなかったとしたら。
「あれ?先週、なんかオモシロイこと考えてたハズだけど?なんだっけ?」
と、思い出そうにも思い出せず。
そのカンガエゴトをした時間がムダになってしまいます。
読み返せばすぐに思い出せるようにするための、記録デス。
脳ミソが本体メモリで、日記が補助記憶装置というイメージです。
今日はこの辺で
何年も忘れてたことが何かの拍子急に思い出す( 05/全05回) - 星