ホシクン

夢は飲食店開業!寄り道まみれな日々。ほぼ月木更新。

僕が最後で最後最後だ

 

 


 近頃、なんだか自分語りな話題が多い気がするので、
日常の中で致したカンガエゴトでも、ボヤいてみますネ。


 こんにちは。星デス。
今日のテーマは、《自己満足》です。

 

 

f:id:supersleeper36:20170113175651j:image 

 

大学生の頃の日記にあった、《自己満足》に関する記述。
 先日、自分が書いていた日記を読み返したのですが、
とある日の記述で、《自己満足》について語られていました。

 

 大学入学した当初の記述だと思います。
たしかにその頃、《自己満足》についてしばらく考えていました。

 

 で、カンガエゴトに決着がついた日に、その答えを日記に遺しました。
結論だけ先に言えば、『自己満足って二種類あるよね』ということデス。

 


なぜ《自己満足》についてなんて、考え始めたのかや。
 情熱大陸スタイルで(?)、話は遡りますが、
そもそもなぜ、《自己満足》についてカンガエゴトしていたんでしょうネ?

 

 あの頃を思い出すと、
おそらくですが、最初は、
『恋愛ってナンダ?好きってナンダ?』
なんてことを考えていたんだと思います。

 

 そのカンガエゴトが発展して、
《自己満足》について考え始めたんだと思います。


 なので、まずは、
『恋愛ってナンダ?好きってナンダ?』問題についてオハナシしなきゃならんデスネ。

 


恋愛ってナンダ?好きってナンダ?
 たとえば、「○○ちゃん、めっちゃカワイイよな〜」がキッカケで、
うまいこと流れをつくって、見事カップル成立した男がいるとしますね。

 

 その男に「なんで○○ちゃんのこと好きなの?」と聞いたとすると、
「カワイイから」と、答えるんだと思います。

 

 「なんで好きなの?」に対するアンサーは、
「優しいから」「憧れだから」など人によって変わるものの、
こういうパターンの《好き》って、ケッコーありがちだと思います。

 


 で、ボクはそういう《好き》に、なんだか違和感を覚えたんですね。

 

「それって、ホントのホントに《相手のことが好きな理由》なんすかね?」
なんて、考え始めちゃったんデス。

 


それって結局、自分が好きってことデショ。
 たとえば、「カワイイから好き」と答えたこの男に関して言えば、
この男は『《カワイイコちゃん》が好き!』なだけな気がするんですよね。ボクから見ると。

 

 《カワイイコちゃん》なら、誰でも構わない気がするんです。
だから、結局、『相手が好き』というよりも、自分が欲しているモノを手に入れたいだけな気がするんですよね。

 

 ・・う〜ん。
伝わってますかね??

 

 コンパクトに言えば、
『自分が満足するために、《カワイイコちゃん》が必要』というかんじです。

 

 それって結局、
「○○ちゃんが好き」と言うのは嘘で、
正しくは『自分が好き』ってことだと思うんですよね。

 


『自分が一番大切』は、揺るがしようがない。
 さて、そう考えてしまうと、
あらゆる『あなたが好き』が嘘になってしまうですね。
『愛しているのは、この私自身』になってしまうんです。

 

 『誰かを道具にして、自身を満たす』
ってことになってしまうんですよね・・


 「誰かを《愛する》って、
そういうことじゃないハズだけどな〜」

 

 なんて、思いますけれど、
『自分が一番大切』というのは誰しもがそうであって、
これは揺るがしようがないコトです。もう認めざるをえないんですよね。

 


 ケド、やっぱりこれは、
なんだか認めたくないことです。

 

 納得できないということは、
まだ考え足りていないことがあるんだなぁ、
と思いまして。それで、《自己満足》について、しばらく考え始めたわけデス。

 


《自己満足》には二種類ある。
 『自分を愛してる?相手を愛してる?自分を愛してる?』
と、グルグル考え始めて、しばらく経った頃のことです。

 

 フと、ヒラメキました。
あっ!やっぱり『自分を愛してる』は揺らがないコトだ!」
「でも、実は《自己満足》には二種類あるンダ!」
「そう考えれば、今までのカンガエゴトが、とりあえず解決するゾ!」
「\( わーーい!)/」
って、かんじです。

 

 

f:id:supersleeper36:20170113175726j:image

 

二種類の、《自己満足》。
 いよいよ核心を喋りますが、
言われてみれば「えっ、そんな当たり前のこと?」なことでしかありません。

 

 二種類の《自己満足》とは、
・『自分→周りの人々の順に喜びを与える』自己満足
と、
・『周りの人々→自分の順に喜びを与える』自己満足
と、イウコトナンデス。

 

 言い換えると、
・『自分が喜びたいから、周りの人々に働きかける』自己満足
と、
・『周りの人々に喜ばれて、それを見て自分も嬉しい』自己満足
デス。

 

 『喜びを与える優先順位』が違うんですよネ。
たった、それだけのことなんです。


『周りの人々→自分』の順に喜びを与えたい!
 そうすると、
『恋愛ッテナンダ?好きッテナンダ?』も、
ハナシが変わってきます。

 


『恋愛ッテナンダ?』
→「= 自分が喜びたい」
→「相手に『好き』という嘘を言って、自分のモノにする」。
は、《気づき》を得る前の考えかたデス。


この考えかたが、
『恋愛ッテナンダ?』
→「相手に喜んでほしい」
→「喜んでくれると自分まで嬉しい」
→「お互いに『好き』という想いが大きくなる」。
という具合に変わるわけデス。


 結局、両者とも、
『自分が満たされるために相手を利用する』のには変わらないんですけども、
後者のほうが「誰かを『愛する』って、こういうことだ!」と思えるんですよネ。

 

 イメージは、前者は『求め合う恋愛』で、
後者は『求め合わず、与え合う恋愛』というかんじデス。


 ボクは、なるべくなら、
後者の気持ちのほうを大切にしたいと思うんですよねー。

 

 それは恋愛においても、恋愛に限らずとも、デス。

 


結論。
・自分が満たされるための穴を、他人に埋めてもらう場合、ふたつの手段があります。
 ① まず、自分が満たされたいという想いがあって、それを他人に埋めてもらう。
 ② 自分の欲求は二の次で、まず他人に喜びを与える。誰かが喜ぶと、結果的に、自分も嬉しい。

 で、別にどちらが正しいとかは無いんですけど、
星が、個人的に、②の方が好きというお話でした。


 どうも伝わりづらいハナシな気がしたので、
同じような内容を言葉だけ代えて、何度も繰り返してみたのですが、

果たして、伝わったのでしょうか・・

 

 

余談。
 ついこの前の話ですが、この記事を執筆中に、
『星が、根っこでは、どんなモノの考え方をしているのか』に気付かされた日がありました。

 

 それに気付かされた途端、
自分のあらゆる行動について、
「そういう根っこしてたら、葉もそういうことになるわな〜」
と、『すべてが繋がった』ような感覚を得ました。

 

「星の根っこにそういう思想があるから、
今日まで書いてきたこのブログ記事も、
こんな結論で終わるのは、まぁ当然のことだよね」
というかんじデス。

 

 これも、話がとても長くなりそうなので、
いつかそう近くない将来で、ブログのネタにします。

 

 

 そんなかんじでー