ホシクン

夢は飲食店開業!寄り道まみれな日々。ほぼ月木更新。

悪びれたフリなんてもう流行らない

 

 こんばんちゃ、星です。

 


 

 こちらの『実況ラジオ』でもチラッとオハナシしましたが、《怒》について考えてみました。

 

 ちなみに、実況ラジオでの口語よりも、ブログでの文語の方がわかりやすくまとめられているつもりなので、動画を観る必要はありません笑

 

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 ボクは遥か昔から、自分の中の、喜怒哀楽の《怒》を排除しています。

 

 幼き頃の《怒》に対するトラウマですね。ですが、近ごろ、「なぜボクは《怒》を排除したいんだろう?」てなことを改めて考えてみましーた。ついでに「《怒》って、ナニ?」的なことも考えたので、本日はこの2点を言葉にしてみたいと思います。

 

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「なぜボクは《怒》を排除したいんだろう?」


 まずふと気付いたのが、怒は怒でも、『自分で自分を怒ること』は嫌いではないということデス。 たとえば、自分のギターがなかなか上達しないことに対してイライラしたり、自分を叩き上げたりだとかは、良いことだと思うのです。好き。

 

 では、ボクは《怒》というモノの何が嫌いなのかー? ‥‥を考えてみたところ、その正体は《理不尽》でありました。「掘り下げてみると。ボクは《理不尽》を排除したいんダナー」。

 


 《怒》には《理不尽》が付き物な気がします。「オレ様が気に食わないから怒るんだゼ!」が常に付きまとうような気がしますネ。「相手の成長を願って、言う」よりも「自分の気が晴れないから言う」という《自分の感情》が優先。ワガママに見えます。

 

 《強い物言い》になるにしても、ワガママでないものは《叱る》という言葉で区別されていると思うのデス。 ですので、「自分で自分を怒る」というのも、「自分で自分を叱る」と言った方が正確である気がします。 ですので、結局、《怒》はキライなわけです。

 

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「《怒》って、ナニ?」

 

 ボクは最初、《怒》は《求める》ことで生まれるモノだと思っていました。
⇒「私はこうしたいのに、うまくいかない怒」「あなたにこうしてほしいのに、そうしない怒」。

 

 《求める》=《期待》という言葉でも表現していました。

 


 これは一見するともっともそうでありますが、実はそうではありません。《求める》や《期待》というのは、それ自体はなんら悪いことではないのです。

 

⇒「私はこうしたい」「あなたにこうしてほしい」 ‥‥これが《怒》と結びつくかといえば、必ずしもそうとは限らナーイ。

 


 察しのいい方はお気付きのことと思いますが、《怒》が生まれるかどうかというのは、その直後がモンダイなのです。

⇒「私はこうしたい《のに》、うまくいかない」「あなたにこうしてほしい《のに》、そうしない」。

 


 《怒》の正体は、この《のに》です。ボクはこの《のに》を、《依存》とも言っていたりします。《怒》の原因を自分の外に転嫁させたくて、寄っかかっている状態デス。

 

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 ボクは「のに!」と言われて怒られても、「それはあなたの都合デショ」「あなたが勝手に不機嫌になったことデショ」「同じことを経験しても気にしない人なんて五万といるぜ」と内心では思いながら、その不快感を心の深いところに埋めます。聞かなかったことにします。

 


 この言い草だと、「無責任」と思われてしまいそうですが、飽くまで《理不尽》なことに対する反応ですよ。愛を持って《叱って》くれる人の意見には耳を傾けまくりデス。

 

 《理不尽》がキライなのです!「人を、あなたの勝手な《怒》のサンドバックにしないでくれ」ということデス。

 


 そんなオハナシでした。