未来なんて たった今の積み重ね
こんばんちゃ。星です。
ゲーム実況しながら約半年間、《話す》ということについて考えてきたことのまとめデス。ボクと同じく「話すのが苦手」という方々のヒントに、どこかしらがなれば、と思います。
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ゲーム実況を始めたての頃、話したこと。
・コミュニケーション能力を上げる方法、それが《ヒトリゴト》(ひろゆきさん談)。
話題をひたすらマジカルバナナする。「今日は暑い」「暑いといえば、あの国」「そいえばあの国に旅行で行ったことあるけど、うんたらかんたら」てな感じで連想しまくる。その力をヒトリゴトで養ったらば、対人コミュニケーションでも、それをスライドしてくるだけでよい。
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反省を繰り返していくうちに改善されたコト。
・どこの話についてコメントしているのかを明らかにしなきゃ。
☞ ニポンゴて、「うどん」だけで会話が成立するシチュエーションとかフツーにありますけど、それに慣れすぎて「ボクってば、言葉足らずだナァー」というモンダイを気にし始めた。
「うどんを、何?」「たべたいの」「誰が?」「私が」「どこでそう思ったの?」「この人の話聞いてたら」‥‥的なことを、ちゃんと言うことにしてみました。
・言葉が詰まりすぎ。
☞「言いたいことがあるんだけど、言語変換できない」場面が、多数あった。
・語尾が聞き取れない。
・クチが悪い。
・声色が暗くて聴き取りづらい。
・タメ語が気になる。
・喋り方が不機嫌そう。
☞《笑った声》で、喋る。なんなら笑顔で喋る。
‥‥とか。
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「こう話すと良さそうだな」と気づいたこと。
・「難しい表現をしたかも」と思ったら、直後に3つくらい類語を並べてみる。
・『抽象→具体→例示』の流れで話す。
・『自分の経験』が現れるように心がける。
☞ 文字に起こすのメンドくさいし、長ったらしくなるので、動画で話します(今後の課題も話します)。
そんなかんじです。
したいのってなんだろう
こんばんちゃ。ホシです。
「趣味を仕事にしないほうがいい」と言う人がいますが、実際どうなんでしょう。『仕事は嫌だけど我慢して稼ぐ』と、『好きなこと得意なことを武器にして稼ぐ』はどちらが正しいんでしょう。
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ボクはそもそも、『働く=嫌なことを我慢してやる』が誤りだと思っています。
この『嫌なこと』というのは、『メンドーなこと』の意味とは違います。活動の種類(デザインとか料理とか教育とか)のことを言っています。
誰かがこんなことを言っていました。
「好きなこと以外で成功させてくれるほど世の中甘くない」、です。
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「別に成功したいわけじゃないし」と言うのもその通りで、結局最後は自分の選択です。
好きなことを諦めて我慢しながら仕事する、稼ぐ。好きなこと得意なことを稼ぎに換える。
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ボクの意見は、「誰かの好きなこと得意なことにオカネを支払われる《仕事》のが、やっていて楽しいと思うんだけどなぁ」であります。
いわゆる《仕事》を選んだとしても、給料は毎月入るからラクはラクですが‥‥( ´-` )
動画でも似たようなことを喋ってます。
そんなかんじです。
遊びも100% 手を抜かない
こんばんちゃ。ホシです。
こないだお芝居を観に行ったのですが、「エンターテイメントにオカネが支払われているって、なんかすごい!」って、思いました。
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飲食業の自分から見ると、《メシ》と《舞台》だと、オカネの流れが違う。
飲食は「空腹を埋める」というマイナスを埋めるような仕事だけれど、反面、芸術はプラス向きな仕事。なくても生きていけるんだけど、あれば人生がもっと華やかになる。
飲食は身体を満たす商売だけど、芸術はココロを満たす商売。
芸術はニンゲンのものだな。猫ちゃんにはこの楽しさがわかるのかなぁ?
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この文面だけだと、《芸術》=舞台などの創作活動と受け止められそうですが、ボクは《ニンゲンが勝手に生み出した遊び》全体のことを言っています。音楽・ゲーム・スポーツ・言語活動(オシャベリ)、などなど‥‥
ニンゲンに生まれたんだから、遊んでたほうが楽しい気がします。
動画でも似たようなオハナシしてます。
そんなかんじです。
ピュアに生きてみて
こんばんちゃ。星です。
対人関係モンダイの、諸悪の根源は《コミュニケーション不足》だと思います。
たとえば、ある程度相手と過ごす時間が長くなると「言わなくてもわかる」と言う期待を抱き始める人がいます(男性に多い気がする)。「ありがとう」とか「ごめん」とか、だんだん言わなくなる。そこからモンダイ発生。
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ボク、「ありがとう」とか「ごめん」とか言い過ぎると、「こいつコレ言っておけばなんとかなると思っててあざといよな」とか思われるんじゃないかと思って、あまり言わなくなったことがありました。
その頃のボクは考え過ぎでひねくれちゃっていました。「あざといと思われる」を気にするのも誤りだし、そもそも「あざとい」も誤りデス。「マメな人」で良いのに、ですね。
「やって良いこと」と分かっているのに考え過ぎで遠慮してしまうこと、大人になって増えてきましたが、それは受け手の顔色を伺おうとしすぎてるからですね。NHK教育くらい、「やって良いことは、いいんだ」とスッキリ行きましょう。
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動画でも似たような話をしています。
そんなかんじです。
チャチャ入ったってなんも動じない
こんばんちゃ、星です。
まだまとまりきれていませんが、『ナメられる』ということについて思ったことでも書いてみます。
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ボクはわりと人からナメられやすい人間です。
『フレンドリー』と言えば長所になりますが、コレがたとえば仕事などで後輩と関わるときにはモンダイになったりならなかったり。
このモンダイについて、最初に考えていたことは、「ナメられる側に問題がある」、デス。些細な欠点を払拭できるほどの魅力も無いから、ナメられるのでは無いかと思っていました。
その後、その考えが変わりました。
「ナメる側にも、ナメられる側にも、両方問題がある」、てな感じに。
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そしてその後、また考えが変わって、現在のカンガエにまとまります。
‥‥「変わった」というか、「加わった」と言うのが正しいですが。
新しく加わった考えというのは、「ナメられていることに落ち込みすぎるのも、また問題」デス。
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ナメられて悩む人は、相手が気持ちよく感じるように自分の行動を合わせている。しかし、自分が良いことをしても、相手が勝手に気に入らないことだってある。
『相手に自分の感情を支配されること』から脱け出したほうがいいかもしれません。「誰かが勝手にナメてきても気にしません」という覚悟を決める。
そんなかんじです。
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動画でも似たような話をしています。
誰に何を言われようが 楽しむことは人間の義務
こんばんちゃ。星です。
過去にも同じタイトルの記事あるかもや。
「自分がわからない」と言う人は、自分を、ホントの意味で、大切にできていない人に見えます。
自分の経験でのみ語るので、スーパー偏見ですが、「自分がわからない」人は、判断基準が自分の外になっている気がします。ありがちなのは、「親がそう言うから」とか。
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ボク自身にもこんな経験がありますが、目の前の人の機嫌を伺って物事を判断している。それでその瞬間だけは、自分自身が嫌な気持ちをしないで済むことは済みますが、度が過ぎると、我が消えていきます。我を消すのに拍車がかかる振る舞いが、癖になる。
それが癖になると「自分がしたいことがわからない」「自分がわからない」「生きてる意味がわからない」と、最悪、うつ状態まで真っ逆さま。
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もっと自分に素直になればいい。自分の意見を尊重してよい。いい意味でワガママに。
「ワガママ言ってはダメ」なんて決まりなんてどこにもありませんし、なんならそのルールは自分が勝手に生み出している。
他人に優しいのはいいけど、自分もいたわったらどうっすか。他人に優しくするのは、その後にしましょう。
そんなかんじです。
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動画でも似たようなオハナシしてます。