それでも全部 私の人生なんだよ
病気は、《持ち物》だと思いマス。
「自分のエネルギーが奪われる」と敵視するよりも、「そこから何を得られるだろうか」という視点で向き合うのが良いと思いマス。《持ち物》である以上、実際になにかを得られているハズですから。
NARUTOの九尾みたいなハナシですネ。味方にしちゃいましょう。
けど羽ばたくの さあ大空へ
お葬式のハナシって、したことありましたっけか。星くんのお葬式をどんなお葬式にしたいか、というハナシです。まだ25歳ですが、そんなことを考えて、既に「こういうお葬式にしたい。よろしくネ」なんて話してある友人もいまス。
もともとは去年のいつだったか、よく喋る常連さんに「長期的な夢がわからない」というオハナシしたら、「簡単だよ。まずは、自分が死んだ時にどんな葬式を挙げたいかから想像すれば良いんだ」なんて言われて、「ハ?」と思ったのが始まりでした。
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まぁ当然、そんなことちっとも想像もできずに暫く過ごしていたんですけれど、そうこうしているうちに今年の3月、図らずも「これだ!」と思えるものを目にすることができました。
それは、《卒業式》デス。
卒業式って、旅立ってしまう先輩に対して、遺された後輩たちが、「今までありがとうございました。先輩との思い出を大切にしていきます。新しい場所でも、楽しく過ごしてください」と、たくさんの感謝やお祝いを伝える場所なんですよネ。
悲しみに暮れた空気よりも、華々しくもある青春の薫りで溢れる式って、見ていて心があたたかくなりますし、追い出される側も「ああ、ここで過ごしてきて良かったぁ」と、あたたかい気持ちがいっぱいで旅立つことができます。
自分の葬式も、ブルーなものじゃなくて、こういうあたたかいものになったら良いなと思った。‥‥と、そんなオハナシでした。
台所に立って 久しぶりに作ったのよ料理
最近、自炊を本格的にスタートしました ( ̄▽ ̄)
現在の部屋に住み始めて2年経って、ようやくのことです。調理器具がまったくそろっていなかったので、必要なものを買い揃えることから始めました。
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そのほとんどは100均で買ってきたのですけども、100均てホント凄いね!!なんでも売ってますよ!! ‥‥なんてハナシを、この2017年に今さら叫んでおります。
しかも、今の100均て、そんな安っぽくない、しっかりした品揃えで驚きマシタ。こんなに安くこんなに良いものが手に入るなんて、この時代に生まれてホントに幸せですよネー
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自炊メモリーを貼り付けて、今日は終わります。
・いわしのアラビアータです。
・親子ドーンです。
・おやつホットケーキです。
・ナスの生姜を効かせたなにかです。
・ゴーヤのペペロンチーノです。
・ぶっかけソーメンです。‥‥嘘、蕎麦です。
・ゴーヤチャンプです。
・シンプル野菜炒めです。
・太陽のトマトチーズカレーです。
以上でした ( ̄▽ ̄)
甘えたいよ 泣きつきたい
「プロの手を借りたい」ということについて、思うことがありマス。
例えば、精神的に追い詰められている人が、「プロのカウンセリングを受けたい」と言うとき、ボクが思うのは「それって、オカネを支払ってお客さんになるということってことだけど、ホントにそれでイイの?」なんてことです。こんなこと言ってしまうと厚かましいんですけどネ。
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お客さんになる、ということは自分側で根本の部分を克服しなければ、延々とプロに依存してゆくことになるということデス。プロも商売ですから「やさしいコトバを掛けてください」とお客さんが求めてきて、それでオカネを貰って良いんだったら、それでずっとオカネを受け取り続けてゆくんデス。
「やさしいコトバ」が欲しいなら、オカネなんか掛けずとも、トモダチがいるじゃないか。なんて思ったりしますよネ。
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それでもプロにお願いしたいと言う場合、たぶんその人は《『オカネを支払う』という行為によって得られる安心感》が欲しいのではないかな、なんて思いマス。
この話をするとき、ボクはよく《焼肉》を例え話にするんですけれど、「同じ肉を焼いて食べる」にしても、スーパーで安く買ってきて家で焼いて食べるのと、少し高くついても焼肉店で食事するのとだったら、後者の方が満足感が高いんじゃないかななんて思うのです。
《料金が高い=オイシイ》という思い込みみたいなものデス。《オカネを支払えば良いサービスが受けられる》という思い込みですネ。
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それらを考えたうえでそれでもプロにお願いしたいとい言うのなら、「しょうがないね」て思いますが、そこまで考えずにプロに飛び込もうとする人を見ると、「いや、誰かがチカラになるからまず我々に相談しようよ」なんて思いマス。
そんなオハナシでした。 優樹様スゴイ。
今日からが本当の私
《正しさ》を基準に生きようとすると、苦しくなるかなと思いマス。
自分の外側に答えを求めている=自己がなくなるからデス。そして、その答えも存在しない場合が多い。存在しないものを求め続けるので、路頭に迷い、苦しくなるのデス。
《楽しさ》を基準に生きれば良い。そう思いマス。
星くんはこのブログでいろいろな偏屈を言っておりますが、それらも正解・真理ではありません。そう考えて生きていった方が、自分自身がラクだというだけデス。
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正しいからゴハンを食べるのか?正しいから眠るのか?
そうではないハズで、食べたいから食べるのであって、眠いから眠るのです。
「したいけど、正しいかわからないからデキナイ」というものは、「したいならすればイイじゃん」デス。答えは自分の中にありますデス。自分の心の声に、素直に従わないと、「自分って、何をして生きていきたいのかわからない」なんてことになりますネ。
そんなかんじです。 ももち美しい。
逃げるは負けだよ
「責任を取る」とは、どういうことなんでしょうネ。
責任を取る、ということについて考えると「責任を取って、辞職します」みたいなやりとりを想像できますが、「『辞職』することで、ホントに責任取れてるの?」なんて思いマス。
「責任を取って、姿を消します」って、「借金踏み倒す」みたいな、逃げてるだけで、なんの解決にもならない言動なんですよネ。
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刑事ドラマなどで、殺人犯が自害しようとすると、それを深津絵里が止めて、「あなたは死なせない!生きて、償いなさい!」と怒鳴りつけますが、それを見て「あ。『責任を取る』て、こういうことだな」なんて思いマス。
「逃げずに向き合って、自分が起こしてしまったモンダイを、ひとつひとつ清算してゆく」。これが、ホントの「責任を取る」ということだと思いマシタ。
そんなかんじです。
どんなどんなときも 決まって君の味方
最近、星くんの捻くれた恋愛観について、カンガエが進みましたので、書いておこうと思いマス。
今回の記事は、いつもの「おもしろいことに気付いたから聞いて聞いて!」というのとは違って、至って個人的な偏見を書くだけなんで、そんなハナシどうでもいい人は‥‥、サヨナラマタネ?( ̄▽ ̄)
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以前どこかの記事でも書いたかと思いますが、星くんは交際相手がどこかで別の相手とセッセセしてきても浮気判定にはしません(正確にはそうじゃないケド。どういうことかは過去記事を読んでクダサイ)。
「ボク以外の人とセッセセをしてはイケナイ」が破られると途端に破たんしてしまうカンケーというのは、恋愛関係とは違う気がシマス。セッセセがお互いを繋ぎ止めているカンケーは、セフレと同じようなものな気がしてます。
‥‥ウーン。この説明では、ただ総ツッコミを受けるだけになりそうデス(´-`).。oO
他にも例を挙げると、「一緒にゴハンを食べる」というのでも。「交際相手以外の人と、ゴハンを食べにいってはイケナイ」ということになると、それが破られて破たんしてしまうカンケーも恋愛関係とは違う気がシマス。メシ友でいた方がお互い、いがみ合わずに生きられるジャン、と思ってしまうというかナントイウカ‥‥
こんな具合で、それってセフレで良くない?トカ、それってメシ友で良くない?トカ、それって友だちでいてもできることじゃない?ナドナド‥‥、いろんな偏屈を並べ立ててゆくと、「〇〇という繋がりがあるからこそ、我々は恋人同士だ!」と言えるものが無くなってゆく気がするのデス。
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この、「恋愛関係って、どんな根拠でお互いを繋ぎ止めてるんデスカ?」 という疑問を抱き始めたのは、7年前、大学一年生の頃のことデス。ずっとそれがわからずにいましたが、最近になって、ようやくその答えが出マシタ。ここからが進展のハナシです(ようやく本題)。
さて、その答えとやらをサクッと記します。
それは‥‥、《お互いに価値観が似ている》ということデス。もし異なる価値観を持っていたとしても、受け入れられる領域にある、と言いますか。相手がどんなことをしても味方でいられる、というようなことデス。そんなカンケーが、恋愛関係かなー、と。
具体例を交えてハナシを盛り上げたいところですが、ネット上で全世界公開するには恥ずかしいところなので、気になってくれた人は、個人的にオハナシしましょう。
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もしかしたら、この答えを聞いて、「なんだ。そんな当たり前なことか」と言う人がいるかと思いますが、もっと早くその人と出会えてそれを教えてくれていたら、ボクの思考停止していた7年間は、もっと短く済んだのでしょうなー
なんてね。思いました。
そんなオハナシでした。 one two three